僕が思う非日常について
- Yuda.1.Blord
- 2020年5月11日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年5月28日
非日常というものにいつからか惹かれる自分に気が付きました。
まず前提に、僕は日常=退屈と考えている節があるように思います。
繰り返される日常、変わらない日々。どれも大切でかけがえのない日常。
それはとても大事なことで、失ってはいけないものであると。
きっとみんなそう思っていると思います。
最近のコロナショックで、日常を奪われ自粛生活を余儀なくされ、いつもと同じ日常がないことに不安や苛立ち、買いだめやまとめ買いに走った人も少なくないのでは?
日々の生活なんて、日々、変わっていくものじゃないですか。
同じような一日はあっても、同じ一日は絶対にない。
今を生きるこの時間瞬間に二度目はない。
期間限定の「自粛生活」いわば、縛りプレイみたいなもんだと思うんすよね。
下ネタじゃないっすよ?
買い物をしに出掛けたなら、一週間そのアイテムだけで家から出ないでいかに快適に過ごすことが出来るか?
証拠として毎日SNSに投稿するみたいな制限を設けるとか。
ちょっと面白い気がしません?ww
まぁ、僕自身は仕事があったんでそれなりにしか自粛してませんで、正直、皆さんの辛さも楽しみ方もわかってあげれるつもりも気もないです!不謹慎だろうと叩かれようと謝りません!
一つだけ言える確かなことは
「俺なら絶対楽しめた」
少ない休みも部屋キャンしたり、ミニチュア作ったり、そういった僕の行動を見ていただいてる方にはわかるかとは思いますが、どこいっても混んでるいつものGWよりも今年のが変化があって楽しめたw
こういうのも「非日常」ですね。
今、僕はキャンプにハマっていますが、キャンプも所謂「非日常を楽しむ」遊びだと思います。都会の真ん中に住んでたら、なかなか自然とふれあう機会も時間もないし、外でテーブルを広げ、焚火をしながら仲間や家族と会話して、外で寝るってのも日常じゃ考えられないでしょ。「不便を楽しむ」なんて言い方もあります。
ある意味、現実逃避とも言えますね。
日常の退屈さや、仕事のストレスからの解放を求めて、現実から逃げるために非日常な遊びに惹かれる。
そういうのもないとは言い切れないですね。
正直、普段の仕事を退屈だと思ってしまうことは多いですし。
僕が生きてきた世界。十代の頃、ハマっていたのはバイクでした。
彼女を後ろに乗せたり、友達とツーリングしたり、初めて手に入れた「足」でした。
自転車から解き放たれ、エンジンを載せた二輪車は最高に無敵のマシンでした。
100キロを超えた世界なんて、ちょっとしたハンドル操作のミスで死と隣り合わせの世界。
単純に学校いって部活してるだけじゃ味わえなかった世界だったなと。
思えば、学校は大嫌いだったな。
中学なんて不登校でほとんどいってないし。
十代後半から、音楽にドップリハマり、クラブや音楽イベントに顔を出すようになり、「音楽の世界」に足を踏み入れていったんです。
そこで、自分が演者側に立つことで見えるようになった景色は、日常を生きているだけでは一生見ることのない。経験することはないであろう世界でした。
そう思って生きてきたわけではないんだけど、こうした世界で生きてきた自分にとって、現実の日常というのは、あまりに普通で退屈なものに写っているような気がします。
毎日生きてる。ただ生きてる。
みんな何を感じて毎日生きているのだろう?
今回のコロナショックで元通りになったら、毎日スーパーにいって、学校に行って、休日には家族で出かけてって生活をしたいんでしょう。みんなね。
まぁ普通が一番ということでしょうか。
そうですね。そう思います。
思うけど、やっぱり馴染めねーそれだけの生活なんて。
自分はきっと、日常を生きる中での非日常をキャンプに飽きたとしても続けると思います。
アルコールだって、現実逃避みたいなもんだし。
まぁドラッグはいきすぎてるけど。
この生活を楽しめる人間が生き残ると思います。
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