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Yuda.1.Blord(ユダ.ワン.ブロード)

出典: フリー百科事典『ユダペディア(Yudapedia)』

YUDAPEDIA
Free The Entertainment

Yuda.1.Blord(本名:菊地佑一)、所属はC-LOCK。設立者であり、リーダーである。ラッパーMC、イベントオーガナイザーとして東関東で活動。

1985年5月2日、茨城県龍ヶ崎市生まれ。​

​サッカー選手のデビット・ベッカムの誕生日と、元X JAPANhideの命日と同日だが、本人とは全く接点なく興味もない。

目次

1.学歴

2.活動

3.仲間

​4.私生活

​5.今後の活動など

​6.外部リンク

​学歴

1985年、茨城県龍ヶ崎市に生まれる。兄弟は姉と妹、三人兄弟の真ん中と菊地家の長男として迎えられる。

母と姉は地元の高校を卒業しただけだが、父親は六大学を卒業しており、その優秀な才能をすべて兄弟に漏らさず受け継いだ妹は、国立大で模範生に選ばれている。

Yudaの最終学歴は、自動車専門学校を二年で卒業している。(同クラスのほとんどの生徒は進級した。)

小学生までは成績優秀とされ、クラスの中心のような存在と先生から評価され、班長やリーダーなどに推薦されることも多かった。本人は「押しつけられているだけ。」と当時のことを語っている。

​小学生時代まで、親からは医者か弁護士にでもなるのではないか?と期待されていたが、中学のときに風邪で休んだことをきっかけに学校に行かなくなる。「学校は嫌いだ。俺が総理大臣なら義務教育を日本から失くす。」というぐらい、大の学校嫌い。高校も専門も全てギリギリの単位で卒業している。

中学3年頃から不良グループに身を置くようになり、学校へは行くようになったが母親からは、「更に心に石が乗ったように重くなった」と言われている。この頃の母親はカウンセリングなどにも通っている。

当時のことをYudaは、「親への反発。俺は優秀なんかじゃない。でも後悔はしている。学校はどうでもいいけど、親を泣かしたことと、殴ったことは」どうしようもない反抗期のことは、後悔はしてもやはり学校は嫌いだったという。

そんな折、中学の番長的存在の男が逮捕され、少年院に送還されてしまう。

それにより、統率のとれていた不良グループはバラバラになり、Yudaも一人になる。

高校に行く気はなかったが、その男は高校に行きたがっていた。Yudaはそいつの代わりに受験を決意する。

電車は通ってなく、地元からバスで30分くらいの機械科のある高校を受験し、合格。

勉強期間はわずか二か月ほどだったそう。そこで運命の出会いをする。

入学式前の学校説明会で頭髪検査に引っかかった生徒のみが別室に呼び出された。そこに呼ばれたYudaは、廊下に不機嫌そうに座り込んでるRISTAと出会う。お互い初めて高校で言葉を交わした相手になる。

同じ機械科であった二人は、クラスが一つしかないため三年間を同じクラスで過ごす。すぐに打ち解けあった二人は、学校だけでなくプライベートでも頻繁に遊ぶようになり、二年頃から、Gow-Tも加わった。

高校を卒業しても、その関係は変わることなくYudaが主催するイベントに二人で遊びに来てくれたりした。

その後、二人は就職。Yudaは自動車整備士になるために、専門学校へ進学した。

専門学校は休みがちで、Yuda自身が一番病んでる時期とも重なった。

仲間とイベント活動は続けていたが、どうにも大学生の仲間と専門学生のYudaでは合わないことも多く、次第に通わなくなっていた。ある日、学校を辞めることを決意し学校に行くが、そのときの担任の先生に真剣に自分の思いを伝え、真剣に聞いてもらえたことに感動し、「卒業してからでもいいじゃないか。」と説得に応じる。当時のことを「俺の話を真剣に聞いてくれた人は初めて。というか、俺が真剣に話したのが初めてだったんだ。たぶん。それからは、真剣に話せば、真剣に聞いてくれる人もいる。って考えに変わった。これは俺の中では思ったより大事件だった。自分のつくる音楽やイベントにも大きな影響を与えた。」

相変わらず学校嫌いであるYudaにとって、一年からこの調子ではホントに卒業なんかできるのかと危ぶまれたが、補習費100万を超えるような支払いの末(親が金持ち)、専門学校で獲得できる資格全てを取得に成功。自動車整備士免許も合格し、進学クラスでありながら、就職もしないで二年で卒業した。それでも学校のパンフレットには就職率100%と記載されていた。やっぱり学校は糞である。ちなみに学校のパンフレットにYudaが表紙の写真になったこともある。

​結局、自動車整備士の免許を取得しても、自動車関係の仕事にはつかずに卒業。

卒業して二年後、進級した同級生の卒業式に自作したCDをみんなにプレゼントしに専門学校へ久しぶりに行く。恩師とも再会できたが、それ以来会ってはいない。

「専門いった意味なかったんじゃないか」と言われることはあったが、本人は「意味ならあった。友達も出来たし面白いやつがたくさんいた。恩師に大切なことを教わった。整備士にならなかったのは途中で興味なくした俺のせいだし、卒業できたのは親のおかげ。それを教えてくれた学校に意味はあったよ。」と言っている。それでも、相変わらず学校は嫌いらしい。

​活動

中学時代の友達の影響でなんとなくHIPHOPを聞き始めるが、最初は全然いいと思わなかった。

四歳年上の姉はダンススクールに通い、当時の音楽やファッションにも明るかった。姉が持っていた2pacのCD「ALL EYES ON ME」を勝手に拝借して、2pacの魅力に憑りつかれる。

​当時流行っていた、Dragon AshZEEBRAにはあまり興味はなく、Buddha BrandやShakka Zonbieなどの影響を受け、さんぴんCAMPでドハマりする。そんな中、同じようにHIPHOPにハマっていた中学時代の親友がターンテーブルを買い、自分もいつか手に入れると心に誓い、HIPHOPの世界により一層ハマっていく。

ある日、ターンテーブルを買った友達がイベントをやりたいと言い出し、「お前はラップやれ」と言われ、仮にもDJ志望だったYudaはそれを素直に受け入れた。それがきっかけで新たな仲間と出会い、ラッパーとして活動を始めることになる。当時はyu-1という名前だった。

高校三年生の夏。五月生まれのYudaは、既に自動車免許も自分名義の車も所持していた。車種はアコードワゴンだった。ライブハウスを借りて、フライヤーを刷って機材を持ち込み、仲間だけで初めての音楽イベントを行った。箱を変えてやっていくうちに、音楽仲間や先輩たちと繋がっていき、土浦@ORBITという、先輩たち御用達のクラブでYudaはオーガナイザーとして「HOW HIGH」というイベントを主催し、最大で300人以上の入客に成功している。

携帯サイトやオリジナルのカスタム衣装を作ったり、MIX CDなんかも作成した。若手で勢いもあるほうだったが、20歳の成人式の辺りで関係は悪化していく。当時の仲間たちは全員同じ中学出身でYudaだけが違った。地元の中学にも友達はいたが、あまり好きではなかった。

そんな折、成人式を理由に直近のイベントをキャンセルしたいと仲間たちが言い出した。Yuda以外、全員一致の意見だった。

受け入れざるを得なかったが、徐々に仲間たちとの溝を感じずにはいられなかった。

「この頃ってなんか好きなことやってるって感覚じゃなかったんだよな。先輩だったりお客さんだったり、求めるものに応えなきゃって気持ちは強くあったと思う。他のやつはそうでもなかったんだと思うけど、俺が抜けてからは感じずにはいられなかったはずだよ。」

それから間もなくして、Yudaは全てを放棄してイベントを投げ出す。当時付き合ってた彼女が妊娠、流産してしまった。

それを携帯を勝手に見られたことで仲間に知られてしまう。「でも、流れたんならよかったじゃねーか。責任とらなくて済む。下ろす金もかかんねーし。」と言われる。

「このときのことは、トラウマだよ。元々責任なんか人に押し付ける奴らだったけど、少なくとも友達。俺は仲間だと思ってた。同情か優しい言葉か、当たり前にしてくれると勘違いしてた。これがきっかけで俺は逃げ出すんだけど、面と向かって言える勇気がなかったんだ。怖かったんだよ。この後のことはよく知らない。サイトに写真貼って探してるみたいな迷子犬みたいな宣伝されてたとか、誰かがキレてたとかw

どうでもいいよ。こっちだってそんなのわかってバックレたんだから。どっかでバッタリ会ったら殴られる覚悟はあったけど、こっちだって殴り返すつもりだった。喧嘩は上等だよ。」

勝ち目のない喧嘩でも、喧嘩から逃げたことはないという。このときの「裏切り」を背景に自らを「Yuda」と名付ける。「Blord」は造語で、Yudaいわく200以上の言語の組み合わせだそうだ。「disは上等だ。売られた喧嘩は全部買ってやる。この名前は裏切った過去と、二度と誰も裏切らない誓いの名だ。軽んじるやつは潰す。」そう誓いを立てたYudaは、新たに仲間にRISTAとGow-Tを誘い、C-LOCKを設立する。それから間もなくGow-Tからの紹介でdoclawと出会う。

C-LOCKのHPも設立し、全国から新たな仲間とのネットワークを広げていった。

単身、渋谷都内を中心にライブ活動を行う中、更にコミュニティーを広げることに成功したYudaは、渋谷UNDER BARで「THE WORLD」というイベントを主催する。当時アナログからデジタルへ移行していたDJ業界で、DJはアナログレコードのみを条件にメンバーを募った。

この頃密かにMIDIコンのターンテーブルを購入していたYudaは、オーガナイザー権限でCDJでDJデビューした。長年のDJ志望だった夢をついに叶えたのであった。(DJの時の名前はDJ FREEザ)

​THE WORLDは約一年間続き、二度目の結婚を機にフィナーレを迎えた。最後に「俺は中学からここに通っているが、渋谷が大嫌いだ。人は多いし明るいし、臭いし大嫌いだ。でもここにいる奴らは大好きだ。たった一つの共通点が俺達にはある。だから、俺はここに来た。ここにいる奴ら全員、音楽が好きなんだ。俺は音楽のせいで辛い思いをしたこともある。やめようと何度も思った。でも好きだからやめずにここまできた。だからみんなに言いたい。もっと音楽を楽しもう。もっと楽しめよ。」挨拶で締めくくり、Yudaは茨城へと帰っていった。それ以来、渋谷に足を踏み入れていない。その後、活動も消極的になり、HPも自然消滅した。事実上の解散となる。

​仲間

RISTA

高校時代、入学式前の学校説明会で初めて言葉を交わしたことをきっかけに、友達になる。

Yudaの中で最も付き合いの長い友達。今は二児の父。

レゲエ好き。オリジナルのTシャツやアイテムを作ることを好み、動画づくりの際はプロデューサーとして、その才能を発揮する。

天性のわがままとも言われるが、妥協せずに作ることに対して人一倍の熱をもっている。

アクアリウムの師匠でもあり、海水オーバーフロー水槽でフグを飼っている。

Gow-T

Yudaの高校時代の同じクラスだが、RISTAと違い仲良くなったのは二年から。

空白の1年といわれる高校一年の頃はYudaたちと距離を置いていた。電車もなく、ネットも今ほど通ってない環境の中、エイプのTシャツやオシャレな服装に興味がわいたYudaがRISTAに紹介。「隠れキャラ」「シークレット」などとあだ名し、仲良くなる。

手先が器用で釣り道具やキャンプグッズなどを自作している。本格的なアウトドア派。

​結婚の際には、制作に1年以上かけたサプライズの動画DVDをプレゼントし、シークレット返しをしている

doclaw snuff

Yudaよりも3歳年上。C-LOCK時代はYudaのトラックメーカーとして、また一緒に曲を作ることもあった。三児の父。

THE WORLD終了後、引っ越したYudaと同じ市に自宅を建て、現在も同市に在住。毎年行われるPSP(Private Special Party)の会場となっている。

出会った当初につくった曲「chained soul」を昨年リメイクし、Yudaとのユニット「どぶ」を結成。

Yudaにとっては音楽の師であり、相棒であり、兄のように思う時もある。でも、俺たちは親友だ。と慕われている。

​私生活

過去に二度結婚し、二度離婚している。現在は一人暮らしをしていて、本人いわく、ようやく手にいれた理想の生活。

「一般的な理想とは違うかもしれないが、結婚して子供つくって、家建てて…それが幸せだと思う人が大半だと思うが、俺は二回それをやっても、今のほうが幸せだと感じる。そう感じるのはやっぱり二回も離婚してるせいだよw」

離婚した1回目は寂しくもあったが、それは別れ方が悪かったせいで、子供にも会えなかった。が、2回目は逆に開き直ったのだという。「自分は結婚には向かない。相手が悪いところもあったはずだが、基本的に俺自身が結婚してないほうが幸せなんだからやっぱり向かないと思う。」

2回目に別れた前妻とは、同じ会社で社長の娘でもあり、現在も同じ職場である。離婚の際に辞表を提出するつもりだったが、社長から辞める必要はないと言われ、それに応じた。前妻との関係は良好で、娘とも会っている。「不思議な話だが、俺たちは夫婦だとうまくいかない。今のほうが結婚しているときより仲が良い。今でも、友人として大切に思っている。」という。一番最初の結婚相手のことはあまり話したがらないが、「自分が一番弱かったときに支えてくれた人。感謝している。」Yudaの信念は意外にも「浮気はしない」ということらしい。それは、たくさん女を囲ったり、何人もの女と連絡を取って毎晩とっかえひっかえすることよりも、一人の人を死ぬまで愛することができるなら、そのほうが何倍もカッコイイという持論からだそう。そのため、絶対しないと言ってるのに束縛されたり、過剰な嫉妬をされるのは耐えられないのだという。

束縛されないかわりに絶対自分もしない。最初はそれでよかったが、そのせいで愛情を感じないと思われてしまうのだとか。

​なんにせよ、理想のパートナーが現れる日はまだまだ先のようだ。

ちなみに人生で10回以上引っ越しを繰り返し、現在住んでる街だけで5回引っ越しているが、茨城を出たことは一度もない。

​今後の活動などについて

THE WORLD終了後は、とくにこれといった活動はしてこなかったYudaだが、doclawとのちょっとした遊びで改名を賭けたゲームをする。内容は期間内に自作のトラックで一曲という激アマなものだったが、名前がなくなるかもということについて真剣に考え、ゲームの課題をすぐに終わらせRISTAに協力を求める形でCDを作成。「RE START」を作る。「リスタと」作ったからというわかりやすいメッセージと、再始動する意味を込めた。

その後すぐにHPを作成し現在に至る。今後増えていくコンテンツと共に、活動も活性化していく。

「便利な時代になって音楽は身近になった。YouTuberが毎日投稿する動画はあっという間に100万再生、200万再生。なのに俺が聞いてた今でも日本一だと思ってるアーティストの公式PVは何年も前なのに50万再生もされてない曲ばっかり。売れる奴は売れまくってるけど、このままじゃいつかなくなるって思ったよ。俺の好きな音楽。もうなにか爪痕を残したいとか、稼ぎたいとは思わないんだ。ただ、ぼうっとしてるのは違うなって。なんでもいいから形にして、ここにもいるぞ!音楽バカ!だからあきらめんな!ってなんかしたいって思ったのよ。出し惜しみはしない。カッコ悪くてもいいんだ。自分には才能ないなって思えるところまでは、やってきたつもりだからね。そんな自分の好きな音楽を、音楽だけじゃなくて、自分の好きなことを、好きなように好きなだけやる。これが、今後のYuda.1.Blordの活動だよ。タダで聞けるYouTubeの配信はしない。聞きたきゃ金払え!ってスタイルでいくからw売るのが目的なんだけど、売れるのは目的じゃないんだよねwそこ、勘違いしないでね。」

​ライブ活動や次の新作などについてはまだ未定とのこと。(2019年10月現在)

​外部リンク

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